就活のオキテ

サカタカツミの、就活について、サクッと読めるけど、ほんのり役立つコラム。

働く理由は重要ではない。

6年ぶりに再開したこのブログは、2005年にわたし自身が出した『先生も親も教えてくれない就職のオキテ』という小さな書籍をベースに書いています。最初に書かれているのは「なぜ働くのか、その理由がなくて困っていませんか。」という項目。卒業したら就職する、頭ではわかっていても、気持ちがついていなかい。という見出しで、当時の学生(主に就職活動をしている学生に向けて書いていました)の悩みに答える形をとっています。これ、2020年のいまも、そんなに違和感がないと思います。
 
結論からいうと、働く理由など特になくてもいい。もろちん、就職試験などで「なぜ弊社で働きたいのですか」的なストレートな質問をされることもあるでしょう。もしくは、自己分析(この言葉の歴史も古いのですが、それはまた別の機会に)をしていても、なぜ自分が働かなければならないのか、という理由をベースにして、やりがいや仕事への興味を見つけるプロセスを経るはずです。が、働く理由の多くは『生活の糧を得る』こと。とてもシンプルです。
 
もちろん、生活への心配がなにもない、働かなくても不自由がない環境に育っていて、それが未来永劫約束されている(といまは思っている)人も、少なくないでしょう。逆にそういう人は、働かなくてもいい。もしくは、働く理由のもう一つの代表的な回答である『やりたいことを実現する』ために、働けばいいでしょう。世の中の役に立ちたい、趣味を活かしたい、自らのアイデアで一勝負したい、違う理由に見えますけど、どれもやりたいことを実現するためですよね。
 
ただ、一般的には、生活の糧を得つつ、やりたいことを実現したい、と二兎を追って就職活動をしている人が多い。そして、働く理由とは、多くの人の場合この両方の按分の違いがあるだけと考えると、シンプルに整理できます。ただし厄介なのは、多くの企業の採用担当者が、最も重大な理由である生活の糧を得るためだけに働くという人を好まない、という点にあります。これからこのブログを書き進めていく中で、度々出現する『採用担当者や企業の経営者が好まない』という壁は、とても面倒です。
 
それは会社という組織の成り立ちに依存します。そもそも、目的を持った人たちの集まりを会社と呼びます(ものすごくざっくりとした説明ですね・笑)から、その目的に賛同してくれる人を企業は求めている、というのが建前。本音では「生活のためだけに働かれても困る」それだけだと組織にぶら下がって、ちゃんと働かないかもしれないと、と、企業はなぜか考えているフシがある。生活がかかっているなら必死になる、とはあまり考えていないのです。
 
企業の本音にも一理あるように説明する人もいます。山のように採用をして、とんでもない失敗を繰り返している中で、自分から行動してくれないで指示を待っている人や、損得ばかり勘定してサボる人や、ただ言われたことだけをやってまったく成長しない人の多くは、ただ会社に来ているだけで、企業として『採用してはいけない』と、身に染みているのだと。ただ、その失敗と、働く理由が生活のためという人は、直接は結びつかないですよね。
 
ピンと来た人も多いと思うのですが、企業は生活のためという働くという理由は当然であると仮定して、その上でやりたいことを実現したいという意欲の中から、採用してはいけない人を見つけ出したい、と考えているのです。それがわかると、企業が好む人物ですよーと、証明するためだけに『パッと思いついたとりあえずの働く理由』で、その場を凌ぐだけで十分かもしれません。なに、働きはじめてから「あ、これかーわたしの働く理由は」と、見つかる人は多いのですから。ご安心を。

新しい就職のオキテとは。

ご無沙汰しております。

新型コロナウイルスの出現によって世の中が激変してしまった2020年だからこそ、ちょっとだけ就職についてのことをゆるゆると書いてみようかと思ったので、ブログを再開することにしました。わたしが「先生も親も教えてくれない就職のオキテ」というタイトルで出版したのは2005年10月でした。ずいぶんと古い話。手元に残っている183ページの小さな自著を見ていると、目次は以下のようになっています。

1 働くとはどういうことなのか。
2 自己分析はなぜ行わなければならないのか。
3 仕事研究はどのように行えばいいのか。
4 面接とはどのようなものなのか。
5 企業の本音はどこにあるのか。
6 再び、働くとはどういうことなのか。

うーん、2020年になったいまでも、この目次にまったく違和感がない気がします。もちろん、企業や就職活動をする人たちのコミュニケーションのスタイルや、使用されているツール、そして、新しく加わったインターンシップなどの行事(笑)など、少なからず変化は起きています。が、就職をするという行為に対して、そのノウハウに求められているポイントは、それほど変わりがないと。そう、仕事に就くということの本質は、いつの時代も似たようなものなのです。

では、どこが違っているのでしょうか。世の中が激変していますが、多くの企業が従業員に求めるものはそれほど変化していません。自律的に行動でき、周囲との調和を図りながら、組織が目指している目標に対して邁進する、そんな感じでしょうか。もちろん、そうじゃない人たちの働きかたがニュースになり、企業の採用を担当する人の多くも、そうじゃない働きかたをしている人たちを求めていると広報しています。尖った人、個性的な人、型からはみ出た人が欲しいと。

正直、それは嘘ですね。正しくいうと、全部が偽りではないけれども、多くは本音じゃない。考えてみればわかると思うのですが、日々ネットニュースになり、ソーシャルメディアを賑わせている人だらけの組織があったとして、想像つきますよね。上手く行かないって。そういう人も欲しいけれども、そうじゃない人も欲しい、むしろ、そうじゃない人が欲しいけど、そういう人(わかりにくくなってきました・笑)もできれば欲しい、そんな感じです。

会社説明会がオンラインになる、インターンシップが実施されないかもしれない、先輩訪問や面接もオンライン化していく。そしてなにより、世の中の景気が冷え込み、人を採用するという行為自体を企業が控える動きが見えてきたいまだからこそ、改めて働くこと、そして、職を得るという行為を通して理解するべきことや、どうしてもしてしまいがちな勘違いなどを、ここでは少しずつ丁寧に解説していこうと思います。まずは「なぜ働くのか」から、一緒に考えてみましょう。

就活生も企業を選べるよ。

このエントリで、このブログはしばらくお休みします。就活に関する新しい視座視点が必要になるタイミングになったら、更新を再開する予定です。Twitterのアカウント(https://twitter.com/KatsumiSakata)にて、お知らせしますね。就活生のみなさん、コレからが本番。頑張って!

就活に関してはみんないいたいようで(私もそうだ・苦笑)、界隈でいろいろといったり、いろいろと叫んだり、いろいろと偉そうにふんぞり返る人たちがガンガン飛ばしている。まあ、いろいろというだろうけど、彼らの多くは「商売」なので、仕方ないのだ。エキセントリックに話せば話すほど、仕事は増えるし、コメントは求められるし、講演もできる。が、問題であると指摘し続ける割には、改善するための努力はほとんどしようとしない。まあ、そんなもんだ、ビジネス社会なんてって感じで。

就活が始まると「企業に選ばれる人材」になるために、就活生は一生懸命頑張る。が、別に就活生は選ばれるばかりではない。選ぶ側でもあるのだ。例えば、数百社プレエントリーをして、百社程度選考にに進んだ強者であったとしても、リクナビに掲載されている約一万社という数字から見たら、微々たるものだ。9900社を「選ばなかった」のだから。当然、リクナビには掲載されていないけど、新卒採用はしているという企業もあるわけだから、就活生に選ばれなかった企業は星の数ほどある。

その企業の多くは「人が欲しいんです」「きてください、ウチで働いてください」と悲痛な叫びをあげているところも意外に多い。是が非でも採用したいと考えているのに、就活生が来ないのである。以前、説明会の充足率が一定の時期を過ぎると著しく下がるという話を聞いた。例えば、100人の説明会で、全員が参加しない、要はドタキャンを見込んで150人くらいの呼び込みをしておいたら(通常のイベントだと多すぎる)実際には30人ほどしか集まらなかったというケースはザラだ。120人はドタキャンしてしまう。

「そんな企業、自分たちに魅力がないことを反省しろ」という、したり顔の声が聞こえてきそうだが、そういう企業だから採用困難企業だったり、不人気業種だったりするわけでもない。ただ「就活生が知らない」というだけで、魅力のない企業だと思われてしまうのだ。就活を始める人は「自分が知らない企業=無視をする」という姿勢はもったいないと思ったほうが良い。そういう企業の中にも優良な企業はあるし、そこに「あまり競争しないで内定を得る」のは、意外に悪くない話だとコソッと言っておく。

新卒採用の最大の問題点。

新卒採用という仕組みにおける最大の問題点は学生をスポイルすること、ではなく、牧歌的な採用システムであるということだ。何度も繰り返し書いているが、十二月あたりから始まった(実質的にはもっと前から始まっているが)就活は、主に大学三年生が対象だ。彼らが卒業し、入社するのが再来年の四月。激動のビジネス社会といっておきながら、なんとものんびりした話である。しかも、そこからしばらくは「給料を払って学ばせる」のである。なにもできないのに。

そう考えると、新卒採用をしている=企業としてゆとりがあるという図式が成り立っても良いはず。考えてみればわかるが、ギリギリの経営をしている企業だったら、人が足りないという事態はあってはならないし、逆に余っていることはない。いつも最適な人員であろうと努力するはずだし、そうでないと激動のビジネス社会(この言葉は何度も書く・笑)を乗り切ることはできない。二年先までその人が入ってくることを待つことができて、さらにその人は「ほぼなにもできない」なんて、余裕がないと無理だ。

繰り返し書いているが、新卒採用にもメリットはある。コストの面で効率が良いからだ。仕事が欲しいと願っている人たちが、一定の年齢で、一定の量、可視化された質で存在していて、向こうから「雇ってください」ってくるのだから、これほど便利なことはない。と書けば気づく人もいるだろうが、要は高度成長期の「集団就職」と構造的には同じこと。あの時代のように工場でモノを作ったりしないので見えにくくなっているが、一部を除いて、イマドキの大学生は、ホワイトカラーとして求められてはいない。

イマドキの就活は、その求める要件に対して適当であるかというと、そうでもない。あきらかに要求しすぎている。が、ホワイトカラーと見ていないことを採用担当者が明らかにしたがらないからだ。当然、入社前に先行きをふるい分けをするようなことを、多くの企業はしない。横一列で競わせないとモチベーションが下がって働かなくなると、妙な理屈を振りかざす。まあ、先のことはわからないとはいえ、粒を揃えるという行為に付き合わされる就活生は大変だ、とは思う。